増永静人著「経絡指圧治療 百話」第九話|心で診る

実際のところ、35年前の専門学校に入学して卒業するまで「経絡」はないと思っていました。
気についても「気のせい」だと思っていました。

増永静人氏の経絡指圧を学びに御徒町まで行くことになったのは、同級生のFさんが「君の手はマッサージをするのに向いているのか?」と尋ねたことからでした。
初めてマッサージを試したところ、翌日に筋肉痛になり、動けなくなったので、私はマッサージを向いていないと思いました。そのため、指圧もやらないつもりでした。

しかし、Fさんは「君、ただ下手なだけだよ。紹介してあげるから、一度経絡指圧を受けてみなさい。うちの奥さんも私の指圧に癒されてるんだよ」と言って、私を驚かせました。

指圧の「圧」が通るのに感動したのを覚えています。

初級講座に出ると、当たり前なのですが、型から習い順番を覚えていきます。
家に帰ってから奥さんを相手に復習するのですが、まあ評判が悪いのです。

筋をきちんと押さえられず、圧もバラバラでした。
経絡など全く感じることが出来ません。

増永先生は言います。

「今だから私ははっきりと経絡が全身に見えるようになって、患者の症状が手に取るようにわかるが、以前はどうだったろうか、と。これは経絡に限ったことではない。世の中にはこれと同じように、はっきりそこにありながら、見る心がないために、見えないものを、見る力がないために見えないで「何もない」と思い込んでいるものが、いかにたくさんあることか。 「今、見えることだけが、事実であるとは言い切れないのだ。」

経絡は、感じるものだと気がついたのは、かなり後になってです。
あんま指圧マッサージは、覚える時は、相手は「物」化して確認しながらの作業になりますが、慣れてくると所謂「手がそこに行く」ような動きになります。
言語化するのがなかなかムズいのですが「まずはやりなされ」ですね。